大学院で学ぶべきこと
大学院ではもちろん「研究」してほしいのですが、一口に「研究」と言ってもいろいろな要素があります(研究完成までの「3つの壁」も参照して下さい)。 修士号や博士号は、「研究」の様々な側面(技術的な側面を含めて)を身につけた証として与えられるのです。 当研究室では、できる限り多くの側面を習得してもらうために、M1の頃から積極的に研究活動を行ってもらう方針です。修士課程で学ぶこと | 博士課程て学ぶこと |
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「研究」と「勉強」の違いを学ぶ
まず、「研究」と「勉強」の違いを強く認識して下さい。 「勉強」は、あくまで過去の人の研究成果を辿る行為です。 「研究」は未解決の問題を、他の人よりも先に解決してやろうとする行為です。特に理論志望の学生の中に、例えば「場の理論を勉強したい」というようなことを言う人を時折みかけます。 それは既に完成されて美しい形をした理論体系、難しい教科書に載っているような内容を自分もマスターしたいということに他なりません。 これは「勉強」であって「研究」ではないことに注意して下さい。
「研究」とは、空白だらけで、本当に答えがあるかどうかもわからないパズルと格闘することなのです。 さまざまな苦しい試行錯誤の果てにようやく結果が得られます。 でも、他に先駆けて結果を出したということを研究者は喜びとするのです。 「研究」と「勉強」のこのような違いを正しく認識することが、大学院生活の第1歩です。
研究のストーリーの作り方を学ぶ
「研究」は簡単に言うと「問題」と「答え」から成っています。 推理小説に例えれば「事件」と「解決」です。 この2つのセットを思いついてストーリーの骨格を作ることが研究の非常に大きな部分を占めます。どんなに独創的な研究でも、かならずその時代に他の研究者が興味を持つような問題が設定されているからこそ評価されます。 また、「問題」は常に「答え」とセットになっていなければいけません。 面白い答えが予想されるからこそ、面白い問題なのです。
問題を設定するのは、簡単なことではありません。 学会やセミナーなどに参加して積極的に他の研究者と交流し、「この人たちに興味を持ってもらうには、どんな問いかけをすればいいだろう、そして、どんな答えを与えればいいだろう」と意識することを学びましょう。
研究を完成させるまでの苦難を体験する
さて、もちろんストーリーができたからと言って、それで推理小説が完成するわけではありません。 研究の完成までには、様々な難関があります。「事件」から「解決」を導き出すための「推理」の中に、誰も思いつかないような意外なブレークスルーがなくては、おもしろい推理小説とは言えません。 研究も同じです。しかし当然ながら、ブレークスルーを生み出す作業は苦しいものです。 研究には本質的に新しい結果が入っていなければいけません。 「新しい」ということは、今まで誰も思いついていないと言うことです。 どんな天才でも、新しいことを思いつくまでには、多くの時間が必要です。 その間のほとんどが試行錯誤の連続なのです。 しかし、これを乗り越えなければ、後に残る研究にはなりません。
また、完成直前の地道な作業も苦しいものです。 全体が矛盾のない説得力あるストーリーになるよう、最初の構想では抜けている細部を全て補わなければいけません。 また、他の研究者にしっかりと納得してもらえるように、時にはつまらない結果を与える可能性まで尽くして議論しなければいけません。
この苦しみを乗り越えてこそ、世界にアピールできる研究となるのです。 それを信じて地道な作業に耐えることを経験するのも、大学院で学ぶべき重要な要素です。
研究をアピールする技術を身につける
研究が完成したら、それをアピールしなければ誰も評価してくれません。 アピールする方法には、主に論文と学会発表の2つがあります。まず、論文はもちろん英語で書きます。 したがって英作文の技術を身につけなければいけません。 物理の英語は、文法的にそれほど凝ったものではありません。 ただ、日本語と違って各文の主語を明確にするなどの特徴があります。 例えば「〜がある」は、受験英語で習う "There are ..." よりも "We have ..." のように "We" を主語とした方が、ぐっと英語らしくなります。 また、接続詞や関係代名詞で長く続けず、なるべく短い文を重ねるとリズムがよくなります。 論文などで英語の文章をなるべくたくさん読むと、次第に感覚が身に付いてくるでしょう。
次に、学会発表の技術は、研究発表に限らず日常のいろいろな場面で役に立つので、是非、身につけましょう。 物理の発表は主にOHPか液晶プロジェクタを使い、スクリーンに次々と式やグラフを映して説明します。 スライドには長い文章を書かずキーワードに限る、図を使って視覚に訴えるなどの点を注意します。 また必ず聴衆に体を向けて話します。 ついついスクリーンの方を見ながら説明してしまいますが、これは悪い癖です。 右利きの人はスクリーンの左、左利きの人はスクリーンの右に立つと、利き腕で指示棒を使いながら聴衆の方を向くことができます。
最後に、論文と発表に共通する注意点として話す順番の決め方があります。 日本では、話のまとめ方として必ず「起承転結」を学びますが、これは少なくとも現代の科学論文や学術発表としては悪いまとめ方です。 「起承転結」にまとめられた話は、特に欧米人には理解してもらえないでしょう。 一番最初に「起」、つまり「問題設定」が来るのは当然ですが、その次には「結」、つまり「問題」に対してどのような「答え」を与えようとしているのかを予 告しましょう。 その次に、「なぜなら...」と続けて、「問題」と「答え」の間をどのように結ぶかを説明します。 これが、集中して理解しやすい順番です。
他の研究者と議論する技術を身につける
自らの研究をアピールするだけでは一人前の研究者とは言えません。 他の人の研究に耳を傾け、その本質を素早く理解し、的確にコメントする。 これができることも研究者としての重要な資質です。 これができるためには、普段からセミナーなどに参加して、幅広い教養を身につける必要があります。また、それは自らの研究者としての将来にも関わってくるでしょう。 大学院で研究したことを一生研究し続けていけるほど、物理の発展はゆっくりしてはいません。 研究者になれば、どこかの時点で全く新しいテーマへと乗り出していく必要に迫られるでしょう。 そのとき、他の研究者との議論で培った直感と理解力は大いに助けとなることでしょう。
研究者は博打打ちでなければならない
1986年に、ベドノルツとミュラーという人たちが高温超伝導体を発見しました。それ以前は、超伝導の有名な平均場理論であるBCS理論の予言から、超伝導の転移温度はどう頑張っても絶対温度30度程度と思われていました。ところが、ベドノルツとミュラーは銅酸化物というセラミックスの伝導特性を低温まで測定し、80度弱で超伝導になることを発見してノーベル賞を受賞しました。ベドノルツは、この物質が超伝導になると信じて実験したそうです。
直後に高温超伝導ブームが起きました。日本で同じような物質を室温で研究していたT先生はすぐに同じ物質を低温で測定してマイスナー効果を確認しました。超伝導を実験的に示すためには、電気伝導がほとんどゼロになるというのでは確実ではなく、マイスナー効果によって初めて証明されるとされています。そのためT先生は、自分こそが高温超伝導を世界で初めて証明したとうそぶいていたそうです。
しかし、それは研究の本質を全くわかっていないと言わざるを得ません。ベドノルツとミュラーは、最初に「できる」と言ったことが偉大なのです。だから鶏口です。できるとわかっていることをやるのでは、いくらそれが前と違うことであっても牛後です。鶏口となるも牛後となる勿れ。
誰かが「できる」と言うまでは誰もできません。誰かが「できる」と言った瞬間に誰もができるようになります。最初に「できる」と言える研究者になるために、日頃から「できる」と信じて研究しましょう。「できる」と思っていなければ、いつまで経ってもできないのです。
そのため、研究者は博打打ちでないといけません。「できる」に賭け続けることが大事です。できないだろうと思っていたら、計算に詰まっただけで、やっぱりできないと思って諦めます。できると信じていれば、計算に詰まっても、これはただ計算に詰まっているだけで、ちゃんと計算すれば突破できると思って、いろいろと工夫します。そこが大きな違いです。もちろん、できると信じていてもできないこともあります。しかしその場合、なぜできなかったかを理解できます。すると、問題を変えたり、条件を変えたりすればできるということもあるでしょう。
日頃から、できると信じて研究するように心がけて下さい。 できると思っていてもできないこともある、できないだろうと思っていると絶対にできないということです。